高橋 宣希です。
2006年 05月 22日
まず、これを言わなきゃいけません。 彼は、おもらし君でした。 小学一年生での朝の会でのこと。その日彼は、日直だったのです。そしてかわいそうなことに朝からトイレに行く暇がなかったんです。朝の挨拶、係りからみんなから、先生の話、と順調に、司会を進めました。さぁ、終わりの挨拶です。 きょうつけ! やすめ・・・・・ 緊張がとけた瞬間公衆の面前でやっちまいました。 小1の時にはもう一回です。小2でもう一回です。 それからというもの、手を挙げて「先生トイレ言っていいですか?」と言う練習に明け暮れました。 そして3年のときチャンスが訪れました。ある日の五時間目、自習のときでした。 敵は、学級委員のみ。「トイレ行っていい?」 恐る恐る聞きました。「我慢できないの?」日々の練習がぶち壊されました。その時は我慢しきってやりました。4度目の正直です。その日、彼が誇らしげに家に帰っていったことは言うまでもありません。そして堂々とトイレに行ってやりましたとさ。
もう一つは、中学生になったころかな。思春期の始まりとともに、自分がクリスチャンである事を隠すようになった。周りにとっては、どうしてそんなこと恥ずかしがるのかなって事を、恥ずかしがったりすることよくあると思うんです。両親もおばあちゃん、おじいちゃんもクリスチャンでおなかにいるときから教会に行ってたから、それは自分の一部だったのかな。周りにとって特異なことを恥ずかしがるのは、普通な事だと思う。 だけど、自分にとってはクリスチャンである事とか、教会に行くことはたいして意味を持つことじゃなかった。「なんで行くの?」 「別にちっちゃい頃から行ってるからだよ」 みたいに。変な話だけど。 それが変えられ始めたのは高校の頃かな。経緯はまだ書かないけど、今では自分にとって本当に大切な事で、だからここでもがんばって書こうと思いました。 説明しにくいけど、「イエスキリスト」は俺にとっては、パズルの最後のピースみたいなもんなんだ。どうしても答えられない疑問にぴったりはまって、むなしさとかの空洞にはまった。 だから高校の頃から自分の根底を支えるのはこのピースだったんです。だからこの日記の根底にあるのもこのピースであってほしい。 今日は18年間の悩みにけりをつけれた嬉しい日です。みんなありがとう。言わしてくれて。
恥ずかしがってた話ばっかだったから、最後は自慢させてくださいよ。 俺ができる唯一の自慢といったら、上のほうに写ってる、あの人達ぐらいです。こんなやつだけど友達には本当恵まれてるんだ。写真に写ってる人だけじゃなくて。 幸せなやつです。大事にしなきゃな。 これからたくさん足跡残すんだ。どうせ残すんなら簡単に消えちゃってはかないのがいいな。歩き始める場所はどこでもいい。歩きはじめればいいんですよ。 あっそうだ。 結婚式には呼んでくださいね。トイレは我慢しますから。
by YFA15904
| 2006-05-22 13:59
| 自己紹介 僕の話